もらい泣き

実話を元に創作された泣けるショートストーリー集。ただ物語全体を通して読むと、お涙頂戴物を集めただけではない仕掛けが施されている、あるいは施されているかもしれない凝った体裁に唸らされる。第1話ではテレビ局に勤める女性が登場する。彼女の元に同じような話がうじゃうじゃ集まり、しかもデスクの引き出しの数だけで間に合うパターンしかない。意外性とか独創性はとかそんなのとは全然無縁。人間みんな同じことを考えるのねとそっちの方に感心しちゃう。そんなわけだから何を聞いても笑えるそうである。べたという言葉は、ひねりや工夫がない、直球勝負、わかりやすいなどニュアンスが変わる言葉で、泣きとべたは枕詞並に関係が深い。泣ける話の冒頭にいきなりべたなストーリーを相対化し否定する内容を持ってくる、なかなか意外性のある構成だ。その後、本の終わりまで同じようなパターンの話が延々と続き、読んでいる内にテレビ局女性の言うとおり笑えてくるのだ。後書きでも人の心は千差万別だが、大本ではやはりみなどこか似ていると人間が泣けるパターンに言及している。収集したエピソードの中で、「家族」「信頼」「恋愛」「病気・怪我」「動物」「死別」に纏わる話が多かった。それら六つの柱が存在し、様々なバリエーションがそこから生まれている。人の心の普遍性が共感を生むことを考えればパターンに自覚的であることは創作において有利な点だ。小説家の性として人の感情を揺さぶる手法に自覚的にならざるをえず、本書を読了した読者もまたその視点を遂には共有することになる。泣ける話を読んでいたはずなのに笑わせられたり泣ける話を相対化させられたりテレビ局に勤める女性の体験を追体験させられた気分だ。冲方丁が意図的にこうした入れ籠構造を採用したのなら懐に刃を隠し持つ腹黒いトリッキーなストーリーテラーと呼んでも差し支えないだろう。

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